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修藍博士講清理

「どうして、こんなことが自分(あの人)の身に起きるの?!」

あまりに突然、不慮な出来事が起きると、わたしたちはどこかに向かって、心の中でこんな風に叫ぶことがあります。
もう起きてしまったこと、取り返しがつかないことに対し、より強く、誰かに責任をとってもらいたい、せめて誰かに説明してほしい、そんな気持ちとともに、強く、深く、叫ぶ声を自分の内に聞いたことはありませんか?

しかし、ヒューレン博士は、その「どうして?!」は、あなたの声ではなく、「どうして?!」は記憶の再生によるものだとおっしゃいます。

人類があらゆる疑問を解決しながら進化を遂げてきた過程からすると、出口の見えない困難に直面しているときこそ、その「どうして?!」を解決しようとすること、答えを探し、犯人を探すことにやっきになることで救われるような気がしてしまいます。

しかし、それが記憶の声なのだとしたら、わたしたちは、その答え探しを続ける過程で見させられるもの、体験することは、やはり記憶によるものなのです。

だからこそ、クリー二ングがあります。
クリーニングは何もしないことではありません。
ただ、だまって苦痛も怒りも受け入れるということではありません。
一瞬一瞬、変化する感情、思考、起きていること、聞こえる声、その源を、自分自身の内側に溜め込んできた記憶の再生であるとして、クリーニングすること。
それはつまり、問題がどこにあるのか、問題解決に100%責任を持つことなのです。

ですから、わたしたちは「どうして?!」という声に対し、まず、その答えを見つけるためにあらゆる悲しみを背にしながらゴールのない道を走り出す前に、クリーニングすることができるのです。

クリー二ングしながら、道を走ったり、歩いたり、休んだりすることを選択できます。

クリーニングすることで、わたしたちは舵を取らせる相手を「記憶」ではなく「インスピレーション」に譲ることができます。

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